東京地方裁判所 平成10年(ワ)27642号 判決
原告 A
右訴訟代理人弁護士 立石雅彦
被告 大東実業株式会社
右代表者代表取締役 石上恒明
右訴訟代理人弁護士 笹浪恒弘
同 笹浪雅義
同 竹内英一郎
右当事者間の損害賠償請求事件について、当裁判所は、平成一二年二月二五日に終結した口頭弁論に基づき、次のとおり判決する。
主文
一 被告は、原告に対し、金二一万円及びこれに対する平成一〇年一二月四日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 原告のその余の請求を棄却する。
三 訴訟費用は、これを六分し、その一を被告の負担とし、その余は原告の負担とする。
四 この判決は、一項に限り、仮に執行することができる。
事実及び理由
第一原告の請求
被告は、原告に対し、金一二六万七〇二六円及び内金四六万八八八六円に対する平成九年一〇月三日から、内金七九万八一四〇円に対する訴状送達の日の翌日(平成一〇年一二月四日)から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
第二事案の概要
本件は、業務遂行中、同僚の被告従業員から加害行為を受けて損害を被った、また、被告から解雇されたとして、被告の元従業員である原告が、被告に対し、損害賠償及び解雇予告手当等の支払を求めている事案である。
一 争いのない事実
1 当事者
(一) 被告は、海陸運輸事業及び一般区域貨物自動車運送業・自動車運送取扱事業等を目的とし、訴外佐川急便株式会社(以下「佐川急便」という。)などの、いわゆる宅配便の下請運送等を主な業務とする株式会社である。
(二) 原告は、平成六年六月二九日被告に雇用され、被告の埼玉営業所に配属されて、宅配便の配達業務等に従事してきた者である。
2 被告による自己都合退職扱い及び退職金等の支払
被告は、原告が自己都合で退職したものと扱い、平成一〇年六月二二日、原告の平成一〇年四月分賃金一七万三二九五円と自己都合の場合の退職金一九万一九〇〇円の合計金額から社用業務資格取得費二一万円を控除した残額である一五万五一九五円を原告に振込送金した。
二 当事者の主張
1 原告
(一) 損害賠償請求
(1) 訴外浜田の加害行為
平成九年一〇月三日午後九時三〇分ころ、原告が佐川急便城東店内において、自己の配達用トラックに配達予定の荷物を積み込んでいたところ、被告従業員の訴外浜田昌徳(以下「訴外浜田」という。)が、「こんな積み方じゃ駄目だ。」などと言いながら近づいて来て、原告の背後からいきなり襟首を掴んで右トラックの荷台から引きずり降ろし、荷台に上って原告の積んだ荷物を次々と原告に向かって投げつけた。それが原告の左手の甲の部分に当たったため、原告は、約一か月の安静を要する左環指伸筋腱挫傷の傷害を負った。
(2) 被告の責任原因
訴外浜田の前記加害行為は、被告の従業員である訴外浜田が、被告の業務遂行中に惹起したものであるから、被告には、民法七一五条により、原告に生じた損害を賠償する責任がある。
(3) 原告の損害
ア 治療費 二五九〇円
イ 休業損害 一六万六二九六円(休業日数一三日、原告の当時の日給は一万二七九二円。)
ウ 慰謝料 三〇万〇〇〇〇円
(4) よって、原告は、被告に対し、民法七一五条に基づく損害賠償として、前記(3) の合計四六万八八八六円及びこれに対する訴外浜田の不法行為の日である平成九年一〇月三日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
(二) 解雇予告手当・退職金・未払賃金請求
(1) 被告による解雇
ア 平成一〇年二月一八日、原告は、就業中、被告従業員の訴外冷泉一(以下「訴外冷泉」という。)から、殴る蹴るの暴行を受け、全治まで二か月以上を要する頸椎捻挫、左肩挫傷、顔面打撲及び右拇指期節骨骨折の傷害を負った。原告は、右傷害により、同年二月一九日から同年三月一二日までの間休業し、更に、同年四月九日、診断書を提出して翌一〇日から二週間程度の休暇を被告に申し出て休暇を取った。
イ 同年四月二六日被告から出社命令があったため、原告が翌二七日被告埼玉営業所に出社したところ、同営業所の実質的責任者である坂田丈美次長(以下「坂田次長」という。)から、「戦力にならないからもう来なくてよい。他の会社をさがせ。」などと解雇を申し渡された。
(2) 解雇予告手当
被告が原告に支払うべき解雇予告手当額は、原告の平成一〇年三月当時の日給一万三二〇八円に三〇を乗じた三九万六二四〇円である。
(3) 退職金
被告の退職手当規定によれば、勤続年数三年九月三〇日の原告が解雇された場合の退職金は、少なくとも三八万三八〇〇円である。
(4) 未払賃金
原告の平成一〇年四月分賃金は一七万三二九五円であるが、被告は、一五万五一九五円を支払っただけであるから、一万八一〇〇円が未払である。
なお、被告は、社用業務資格取得費用二一万円との相殺予約の合意があったと主張するが、「私事にて」途中退職した場合のみ、右立替金を「返納」することを約しているだけであり、相殺予約の合意はしていない。したがって、右二一万円と相殺することは許されない。
(5) よって、原告は、被告に対し、解雇予告手当三九万六二四〇円、退職金三八万三八〇〇円、未払賃金一万八一〇〇円の合計七九万八一四〇円及びこれに対する弁済期の経過した後である訴状送達の日の翌日(平成一〇年一二月四日)から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
2 被告
(一) 損害賠償請求について
原告主張の日時・場所に原告と訴外浜田がいた事実はあるが、訴外浜田が原告に配達予定荷物を投げつけたために原告が傷害を負った事実はない。
原告が一人で自己の配送用トラックに荷物を積み込んでいたところ、訴外浜田も原告の積み込みを手伝うべく一緒にトラック荷台に乗り込んだ。
原告と訴外浜田はそれぞれ別々に荷物を積み上げていたところ、原告が積み上げていた荷物が荷崩れを起こし、原告の方に倒れてきた。原告の体に荷物が当たり、原告はその場に倒れた。訴外浜田が原告に対し「大丈夫か。」と尋ねると、原告は「大丈夫。」と答えた。
このように、仮に原告が傷害を負ったとしても、荷崩れ又は転倒によるものであり、訴外浜田の原告に対する加害行為は全く存在しない。
(二) 解雇予告手当・退職金・未払賃金請求について
(1) 被告による解雇の不存在
ア 原告が訴外冷泉から暴行を受けて傷害を負い、平成一〇年三月一二日までの間休業し、更に、同年四月九日、診断書を提出して翌一〇日からの休暇を被告に申し出た事実はあるが、被告は休暇を承諾していない。翌一〇日の配車は既に決まっており、急な変更が困難であったことから、被告の配送主任である訴外大場隆広(以下「大場主任」という。)が一〇日について出勤の要請をしたところ、原告は承諾したものである。ところが、原告は、翌一〇日に何の連絡もないまま欠勤し、その日以降欠勤した。
イ 被告は、同年四月二六日原告を呼び出し、原告は翌二七日被告埼玉営業所に出社したが、坂田次長は、原告主張のような言辞は一切述べておらず、原告を解雇していない。同次長には従業員を解雇する権限もない。
坂田次長は、原告が今後仕事を続けていく意思があるのかどうか確認をしようとしたが、原告がその場で明確な回答をしなかったため、よく考えて回答するよう告げて帰宅させた。しかし、原告からは何の連絡もないまま再び欠勤状態が続いた。同年五月一九日になって、突然原告から被告本社宛に解雇されたので離職票を送ってほしい旨の手紙が送られ、同月二二日に原告代理人から原告が不当に解雇された旨の通知書が送られてきたので、被告が代理人を通じて解雇していないことを通知し、その上で原告に職場復帰する意思があるのか否かを確認したところ、原告代理人より口頭で、原告にはその意思はなく退職を望んでいるので、四月分の賃金及び退職金を支払ってもらいたいとの申し入れを受けた。そこで、被告は原告を自己都合退職者として扱うことにしたものである。
ウ このように、被告は原告を解雇しておらず、原告は自己都合で退職したのであるから、被告に解雇予告手当を支払う義務はなく、退職手当規定に基づく退職金も自己都合退職の場合の一九万一九〇〇円である。
(2) 相殺予約
ア 原告は、被告に対し、平成九年六月二〇日、大型自動車運転免許取得のため社用業務資格取得申請をし、その際、被告が原告に代わって右取得費用二一万円を立て替え、原告は、資格取得後三六か月は勤務すること、仮に原告が右期間内に退職した場合には、右立替金全額を返還することを誓約した。被告の社用業務資格取得申請書の不動文字には、「私事にて途中退職の折りには、上記の諸費用については、全額費用返納いたします。」とあり、これは退職時に全額の資格取得費用を支払う旨の規定であり、原告が支払うべき諸費用と、被告が支払うべき退職時までの賃金及び退職金とを相殺することができる旨の合意を示したものである。また、実際、資格取得申請をした従業員としても、賃金及び退職金全額の交付をその場で受けても、直ちに資格取得費用の返還をしなければならないのであるから、簡易な清算方法として資格取得費用を控除された金額を受け取ることは、退職従業員にとって特段不利益を生じさせるものではなく、当事者の合理的意思としては、右一定期間内の退職を条件として、資格取得費用と賃金及び退職金とを対当額において相殺できる旨の合意が成立している。
イ 原告は、資格取得後約一〇か月で被告を自主退職しているのであるから、被告は、原告に対し、原告退職当時、資格取得費用二一万円の返還請求権を有していた。そこで、被告は、原告との間の相殺の予約に基づき、原告の賃金及び退職金と対当額で相殺し、残額を支払ったものであり、被告に賃金及び退職金の未払はない。
三 争点
1 訴外浜田の加害行為の存否(損害賠償請求に関し)
2 被告による解雇の存否(解雇予告手当・退職金請求に関し)
3 相殺予約の合意の成否(退職金・未払賃金請求に関し)
第三当裁判所の判断
一 争点1(訴外浜田の加害行為の存否)について
1 原告は、その陳述書(甲一二、一三)及び本人尋問において、その主張に沿う陳述をしている。
2 田辺整形外科医院田辺秀樹医師(以下「田辺医師」という。)作成の診断書等(甲二ないし四、一五)によれば、原告は、平成九年一〇月六日から同月二〇日にかけて田辺整形外科医院に通院し、田辺医師から左環指伸筋腱挫傷により約一か月の安静を要する旨の診断を受けたこと、原告は同月六日の初診時、田辺医師に、同月三日の仕事中、荷物が左手に当たった旨説明したことが認められる。また、大場主任の陳述書(乙二一)及び証言によれば、原告は同月四日に大場主任の自宅を訪れ訴外浜田から荷物を投げられた旨相談したこと、その際、原告は手が痛いと言っていたことが認められる。
右に検討したところ、特に、原告が平成九年一〇月六日に、利害関係のない田辺医師に前記のように説明していることからすれば、原告が同月三日の作業中に何らかの理由で荷物を左手に当てて負傷した事実については、これを認めることができるというべきである。
3 しかし、右負傷が、訴外浜田の加害行為によるものであることについては、<1>大事な商品であり、しかも三キロから五キロもある荷物を訴外浜田が原告に向かって次々投げたとの原告の陳述自体にたやすく信用し難いものがあること、<2>坂田次長、大場主任及び訴外浜田の各陳述書(乙二〇ないし二二)及び証言によれば、訴外浜田は被告から調査を受けたときから一貫して加害行為の事実を否認していると認められること、及び、<3>原告の前記陳述によれば、原告は平成九年一〇月三日以前から訴外浜田に苛められているとの被害感情を有していたと認められる(相手方に悪感情を抱いている場合には、その相手方に不利な陳述をしがちであるから、陳述は慎重に吟味しなければならない。)ことからすると、原告が負傷した事実及び信用性に疑問の残る原告の陳述のみから、原告主張の加害行為の存在を認定することは困難であるというべきであり、他に同事実の存在を認めるに足りる証拠はない。
4 よって、その余の点につき判断するまでもなく、原告の損害賠償請求は理由がない。
二 争点2(被告による解雇の存否)について
1 証拠(甲六、乙一ないし三、一一、一六、一七、二〇、二一)及び弁論の全趣旨によれば、原告は、平成一〇年二月一八日の就業中に訴外冷泉から暴行を受けて、全治まで二か月以上を要する頸椎捻挫、左肩挫傷、顔面打撲及び右拇指期節骨骨折の傷害を負い、同年二月一九日から同年三月一二日までの間休業し、翌一三日から就業したが、同年四月九日、診断書を提出して翌一〇日からの休暇を被告に申し出た事実、及び、被告が同月二六日、原告に出社を求め、原告が翌二七日被告埼玉営業所に出社した事実が認められる。
2 原告は、その陳述書(甲一二、一三)及び本人尋問において、二七日に出社したところ、坂田次長から解雇を言い渡されたとの原告の主張に沿う陳述をしている。
3 しかし、<1>原告の陳述によっても、被告から呼び出されるまでの間、原告がいつから就労が可能なのかの具体的見通しを被告の担当者に説明した事実は認められないこと、<2>原告に今後仕事を続けていく意思があるのかどうか確認をしようとし、その際、「仕事を続けていく気持ちがないのであれば、会社を辞めてもかまわない。」旨言ったが、「もう来なくてよい。」とは言っていないとの坂田次長の陳述書(乙二〇)及び証言に不自然な点は認められないこと、<3>被告では、解雇は辞令を交付する方法で行っていると認められること(乙一二の2、3、一九)、及び、<4>原告が、同年五月一九日、解雇されたので離職票を送ってほしい旨の手紙を被告本社に送り、同月二二日には原告代理人が原告が不当に解雇された旨の通知書を送ったため、被告が代理人を通じて解雇していないことを通知し、その上で原告に職場復帰する意思があるのか否かを確認したところ、原告代理人は、口頭で、原告には職場復帰の意思はなく退職を望んでいるので、四月分の賃金及び退職金を支払ってもらいたいと申し入れたと認められ(甲七の1、2、八、乙八の1、2の1、2の2)、尋問においても、坂田証人が原告の復職を歓迎する旨述べているのに対し、原告が復職を望まない旨述べていること、以上の点からすると、原告の退職を望んでいたのは被告ではなく、むしろ原告であると認められる。したがって、前記2の原告の陳述はたやすく信用できず、他に被告が原告を解雇した事実の存在を認めるに足りる証拠はない。
4 よって、その余の点につき判断するまでもなく、原告の解雇予告手当請求及び退職金請求中、解雇を前提とする部分(自己都合退職の場合の退職金額を超える部分)は理由がない。
争点3(相殺予約の合意の成否)について
1 証拠(乙一〇、一九号証)及び弁論の全趣旨によれば、原告は、大型自動車運転免許取得のため、平成九年六月二〇日、被告に対し、社用業務資格取得申請をしたこと、右申請にかかる申請書には、「申請費用二一万円については、会社負担の上には、資格取得後三六か月は勤務致します。」、「私事にて途中退職の折りには、上記の諸費用については、全額費用返納いたします。」との各記載があること、その後被告が大型自動車運転免許取得に要する費用二一万円を負担し、原告は、同年八月二一日に大型自動車運転免許を取得したことが認められる。
2 被告は、申請書に記載された前記文言や当事者の合理的意思を根拠として、原告が支払うべき諸費用と、被告が支払うべき退職時までの賃金及び退職金とを相殺することができる旨の合意が成立していると主張する。
しかし、前記文言上は、相殺予約の合意が成立していることが一義的に明確であるとはいえない。むしろ、その形式的文言から相殺予約の合意の成立を認めることは困難である。
ところで、労働基準法二四条一項本文は、いわゆる賃金全額払の原則を定めているところ、これは使用者が一方的に賃金を控除することを禁止し、もって労働者に賃金の全額を確実に受領させ、労働者の経済生活を脅かすことのないようにしてその保護を図ろうとするものであるから、使用者が労働者に対して有する債権をもって労働者の賃金債権と相殺することを禁止する趣旨をも包含するものであると解される。もっとも、右規定は、労働者の自由な意思に基づく同意を得てする相殺あるいはその予約まで禁止する趣旨ではないと解されるが、右規定の趣旨からすれば、労働者の意思が一義的に明確でない場合に、安易に相殺あるいはその予約の合意の成立を認めることは許されないというべきである。
また、前記1の認定事実の下においては、相殺によって処理することが労働者である原告にとって便宜であるということもできないから、相殺予約の合意の成立を認めることが原告の合理的意思に合致するということもできない。
以上の次第であるから、本件において、原告と被告との間に、相殺予約の合意が成立していると認めることはできない。
3 よって、被告が社用業務資格取得費用二一万円を控除することには理由がないから、原告の平成一〇年四月分賃金一七万三二九五円と自己都合の場合の退職金一九万一九〇〇円のうち、既払いの一五万五一九五円を控除した残額である二一万円が未払であることになる。
四 結語
以上の次第であるから、原告の請求中、未払賃金及び退職金として、合計二一万円及びこれに対する弁済期の経過した後である訴状送達の日の翌日(平成一〇年一二月四日)から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める部分は理由があるが、その余は理由がない。
よって、原告の請求を主文一項の限度で認容して、その余を棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法六一条、六四条本文を、仮執行の宣言につき同法二五九条一項をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 飯島健太郎)